犬蔵の今昔(歴史概略)

犬蔵の今昔


川崎の町名 日本地名研究所編 平成3年発行より 文責 田村


犬蔵という地名の最も古い記録は、犬蔵御嶽社のものと思われる応永5年(1398年)銘の鰐口に見ることができる。
風土紀行には犬倉と記されている。

現2丁目と3丁目の相田に宝蔵寺があった。大正時代まで寺子屋が開かれていたが住職が亡くなり、昭和15年に廃寺となる。
隣に犬蔵御嶽社があり、明治43年菅生神社に合祀。現在境内に祠 御嶽権現あり(公孫樹の木の根もとの石祠)

犬倉の犬は当て字で低い狭いに通じ、蔵(倉)は山地、峠を意味する。
下菅生むらの小名犬倉をとり復活して犬蔵となる。

現在の犬蔵バス停交差点から南に東名高速道路にそって横浜境までを枝谷(エダヤト)とよばれ、
淋しいところで狼谷(オオカミヤト)と呼ばれていた。

尻手黒川線犬蔵バス停より西の清水台バス停あたりまで清水谷(シミズヤト)と呼ばれ湧き水の出る谷が東西に伸びていた。
ここが鶴見川、矢上川の源流となっている。

犬蔵は、江戸時代武蔵の国橘樹郡稲毛領下菅生(犬倉、稗原、初山、長沢)と呼ばれていた。

明治11年 下菅生村と 天真寺新田 が合併して 菅生となる。
神奈川県 橘樹(タチバナ)郡 菅生
明治22年 神奈川県 橘樹郡 向丘村 菅生
昭和13年10月 1日 川崎市 菅生 (向丘村廃止川崎市に編入)
昭和47年 4月 1日 川崎市 高津区 菅生 (区制施行)
昭和57年 7月 1日 川崎市 宮前区 菅生 (宮前区誕生 7区制施行)
昭和61年11月 1日 川崎市 宮前区 犬蔵 1〜3丁目(住居表示)


向丘村(ムカイガオカ)—平—長尾—菅生—上作延
宮前村(ミヤザキ)—梶ヶ谷—野川—馬絹—有馬—土橋 (馬絹 宮ノ前に村役場がありミヤザキと称した)

明治半ば246号線開通により 土室による花つくり盛んとなる。
大正 14年 電灯ともる
   15年 小田急線開通 麦作りから果樹 野菜作り盛んになる。
昭和 11年 梶ヶ谷の馬絹よりを中心に軍用地の接収はじめる。
バス停〜犬蔵小学校の上を東西に通っているのが王禅寺街道 昭和30年頃まで通れた。
   23年 蔵敷〜稗原 開拓道路として開通
   26年 接収した土地を元の耕作者に売り渡される。
       そこが向丘となり、譲り受けを拒む人もいた。帰農兵が譲り受けすむ。
   27年 矢上川改修工事はじまる。
   31年 野川〜柿生線開通
   41年 大井線が田園都市線となり、溝ノ口より南へ長津田まで延長。
   43年 東名高速一部開通はじめる。
   50年 武蔵野南線貨物ターミナル開設され、矢上川は地下で見えなくなった。
平成19年 犬蔵地区 耕地整理終了 犬蔵〜たまプラーザ道路開通

長沢—蔵敷—平を流れる平瀬川は多摩川へ、そして太平洋へ流れ込む。
矢上川と平瀬川が流れる宮前区は特殊な地域といえる。

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